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浮 舟(うきふね)

横越元久 作詞 世阿弥 作曲  季:不定  所:山城国(京都)宇治

【宇治川のほとり】都の僧(ワキ)が、初瀬の観音(奈良県の長谷寺。平安時代から、特に女性の信仰を集めた)に参篭した帰途、宇治の里に来る。川辺で休んでいると、舟竿を持った若い女(前シテ)が、柴舟(柴を運ぶ舟。宇治川の名物)に乗って現れる。女は、行き先も分からず悩みの尽きぬ身を憂い、昔を悔いて、神仏の加護を祈る。
柴積み船の寄る波も 猶たつぎ無き浮き身かな 住み果てぬ住処は宇治の橋柱 立居苦しき思ひ草 葉末の露を憂き身にて 老い行く末も白真弓 元の心を嘆くかな
僧が宇治の名所を問うと「昔、ここに浮舟とかいう人が住んだそうです。同じ女の身ですが、私は取るに足りない憂き身なので、よくは知りません」と答える。僧が「源氏物語ですね。詳しく聞かせてください」と頼むと、女は煩わしがる。
「宇治という里の名を聞くまいと言った人(浮舟を失って嘆いた薫)までいるのに。それでなくても昔が恋しくなるような、橘の小島が崎(宇治川の名所)を見渡せば、川の向こうに夕煙が立ち、川風に浮く雲に、山肌の雪が白さを添える。貴い御代にありながら、それでも我が身を『憂し』と思うのか」
女は「様々に語られた方々の中でも数ならぬ身が、捨てた世の事を明かすべきでしょうか」とためらうものの、浮舟について語る。
【浮舟の物語】昔は宇治の里に多くの人々が住んでいたが、特に浮舟は、薫大将が仮に住まわせた人だった。人柄も愛らしく上品で、おっとりと過ごしていたが、口さがない世間の人から話を聞き、深い恋心からか、匂宮が忍んで来た。
宵には、裁縫をする侍女達の目を避けてのぞき見していたが、その夜中に浮舟に逢い、山里に暮らす女のめったにない有様が心に沁みて、舟に乗せ連れ出した。有明の月が澄み上るころで、舟を止めて輝く川面を眺めた。匂宮が
峰の雪みぎはの氷踏み分けて君にぞ惑ふ道は惑はず(峰の雪や汀の氷を踏み分けて来て、道ではなく、あなたに迷ってしまった)と詠んだのも、浅からぬ思いだった。
一方、薫は穏やかで、長く訪ねなかった時でも
水まさるをちの里人いかならむ晴れぬながめにかきくらすころ(長雨に心も沈むこの頃、水嵩の増す遠い宇治の里で暮らすあなたはどうしているだろう)と、落ち着いた歌を寄こしたことも、浮舟の涙の雨を増したことだろう。ひたすら思い悩み、「この世からいなくなってしまいたい」と嘆き、ついに跡を消してしまった。
【女の素性】僧が素性を問うと、女は「宇治には通っていて、住まいは小野(比叡山の西麓)なので、都へ帰るついでにお訪ねください」と答える。小野は遠いので不審がると「横川の比叡坂をお訪ねください。物の怪が憑き悩む身なので、法力を頼んでお待ちします」と言って、浮雲のように跡形も無く消える。〈中入〉
〔間狂言‥宇治の里人が浮舟のことを語り、僧に弔いを勧める〕
【小野の里】その夜、僧が小野に行き弔いをすると、浮舟の霊(後シテ)が現れる。死後も涙の尽きない寄る辺なさを嘆き、仏の救いを願う。過去を回想し、宇治川に身を投げようとしたときの心乱れた様子を見せる。〈カケリ〉
【入水の経緯】浮舟は、その呼び名の通り、薫と匂宮のどちらも選べずに漂って「世間にいやな浮名が漏れるだろう、この世から消えたい」と明け暮れ思い煩い、皆が寝静まったころ、妻戸を開き外に出た。風が激しく、川波も荒く聞こえた。見知らぬ男(物の怪)が近づき、浮舟を誘って行くかと思うと、心が虚ろになり果て、何もかも、自分のことさえ分からなくなってしまった。
橘の小島の色は変わらじをこの浮舟ぞ寄る辺知られぬ(橘の小島の緑の色が変わらないように、あなたの心は変わらないだろうが、この私はどうなるか分からない。匂宮に舟で連れ出された時に詠んだ歌)という歌の通りの、浅ましい有様だった。
【観音の救い】浮舟は、観音の救いを得たことを喜ぶ。
「観音の大慈大悲は広く衆生に及びますが、私はいつも心の中で、日光を観音の光明と仰ぎ、闇に迷うだろう死後のことも祈りました。その願い通り、初瀬の観音の縁で横川の僧都に見つけられ、小野に伴われて加持祈祷を受け、物の怪も退散し、夢の世の苦しみは癒えました。夢に現れて昔のことをお見せし、御僧にも同じ縁で弔いを受けようと思った通り、執心が晴れ浄土に生まれたことが嬉しい」と言ったかと思うと、夜が明けて、杉に吹く嵐の音だけが残る。