米寿を迎えて

「能 おおしま草紙」第6号掲載文 2002(H14)年9月15日

舞灘子「高砂」 02/5/19

 能楽師として能人生に一応の区切りを付けるため、平成9年に能「西行桜」を最後に勤め終えました。その折り、親しい方々からまだまだ舞えるのではないかと励ましのお言葉を沢山頂戴いたしましたが、自分ではこれが最後との想いで納得いく舞台を勤めたつもりです。能人生に悔いなしです。その後は、お社中の皆様の会で気楽に仕舞を舞えることを楽しんでおりますが、あれから五年、早今年は米寿を迎えました。
 米寿の祝いとして"春の会"に舞灘子「高砂」を、続けて東京国立能楽堂での新作能初演会にても仕舞「高砂」を舞い勤める事が出来ました。
 生まれた時から、家に能舞台がありましたので、福山空襲で自宅と舞台が焼失してしまった時、逸早く何が何でも゛能舞台がいる"との懐いで少しずつ建て増しをして能舞台を建て、その後、能楽堂まで建ててしまいました。十四世喜多六平太先生が゛大島は城を建てている"と喜んで下さっていたのに、ご存命中に見届けて頂けなかったのが残念です。一地方都市での個人所有の能舞台を維持管理していくことは、なかなか容易なことではありませんが、跡に続く若い者が何とかしてくれることでしょう。