能の心を伝えたい  大島文恵

2004年2月15日発行 福山暁の星栄養・福祉専門学校 学校新聞によせて

 室町時代に観阿弥・世珂弥親子によって大成された能は、信長や秀吉をはじめとする戦国大名に愛され、江戸時代には幕府の式楽(儀式の際に上演される芸能)に認定されて、舞台芸術として完成してきました。それぞれの藩にお抱えの能楽師が居て、「城のある所には能がある」と言われており、この福山も初代藩主・水野勝成公の時代より能の盛んな土地柄です。そして明治維新の頃、福山藩お抱えの能楽師の家が途絶え、その後を継いだのが私達の曾々祖父の大島七太郎でした。その後、能を愛好する沢山の方々に支えられ、福山を拠点に活動する能の家として今日に至っています。
 祖父・大島久見が光南町に建てた能舞台の元で育った私達には、幼い時から常に能が傍にありましたが、学生生活を終えた後、男性中心の能の世界で、今後どのように能と係ってゆくか、模索していました。その頃、西洋的な文化が主流になってきた現在、多くの人々が能に対して厚い壁を抱いていることを痛感し、私達に出来る普及活動は何か?と始めたのが学校に向けての能の体験学習です。鑑賞のみならず、実際に能舞台に上がって舞や謡を体験してもらうことによって、皆が新鮮な楽しさを覚え、能に興味を持ってくれている、と確かな手応えが感じられています。
 そうした中で、一日の体験だけではなく、長期間に渡って能の学習に取り組んで下さる学校が幾つか出てきました。そこでは能の学習を通じて、子供達が大きく成長してゆく姿を目の当たりにし、何度も感動を新たにしました。まず感じたことは、稽古を始めて2ヵ月ほど経つと子供達が皆、驚くほど稽古に没頭するのです。回りの方には子供は理解できないのでは、心配されることもしばしばなのですが、普段腕白な男の子も真剣な表情で集中してくれます。確かに舞は抽象的な動きですし、謡は詞章としての美しさが重視されているので、解りづらいという側面はありますが、だからこそ能とはストーリーの流れや意味を追うものではなく、舞台に上がる人間の生命の力や存在そのものを表現する場なのだと捉えています。そのことを肌で感じてくれた子供達は、一生懸命稽古に励み、舞台上で精一杯の自己を表現しようとしているのではと思うのです。
 今、世界の流れは速く、様々なものが生まれては消えていきます。必要でないものはすぐ淘汰される時代の中、能の未来も決して楽観的ではありませんが、それ以上に若者を取り巻く情況は不安定で、他人を傷付け自分自身を蔑ろにしている少年少女達のニュースを聞くたび、心が痛みます。その原因は自分の存在が今その場だけのものになってしまっているからではないかと感じています。
 私はこの国で受け継がれてきた美しい事柄を知ることで、長い歴史の尊さを識ることが出来るのだと恩います。そうしてはじめて生まれ育った国を愛し、その流れの中に誕生した自分自身を慈しむことが出来るのではないでしょうか。そのためにも時代の波にもまれながらも、その芯成るものが変わらずに生き続けてきた能という芸術を伝えていきたいと思っています。