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鑑賞の手引き 通 小 町 (かよいこまち)

観阿弥 作   時:夏   所:山城国八瀬(比叡山麓の山里)→ 市原野(八瀬の西方)

八瀬の山里で夏安吾(夏の九十日間、僧が一室に籠もって修行すること)をしている僧(ワキ)のところへ、毎日木の実や薪を届けてくれる女(シテツレ)がいる。今日もまた、「薪も焚き物の一つだけれど、お香のように袖に匂いを移せないのが悲しい」とかこちつつ、女がやってくる。僧が礼を述べ、どんな木の実を持ってきたのか尋ねると、「例えば、釈迦は悟りを得るために険しい山で菜摘み水汲み薪採り、様々に仙人に仕えました。ましてやこちらは賤しい女が摘みなれた根芹や若菜、我が名も知らぬほど身分の軽い木の実(この身)ですから、重くはありません」と答えて、木の実尽くしの謡をうたう。

拾う木の実は何々ぞ いにしえ見慣れし 車に似たるは嵐に脆き落ち椎 歌人の家の木の実には 人丸(柿本人麻呂)の垣穂の柿 山の辺(山辺赤人)の笹栗 窓の梅 園の桃 花の名にある桜麻の 苧生の浦梨なおも有り 櫟・香椎・待てば椎・大小柑子・金柑・あはれ昔の恋しきは花橘の一枝(原歌:皐月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする)

僧が名を問うと、「恥ずかしい、己が名を小野とは言うまい。薄の生える市原野辺に住む姥です。跡を弔ってください」と言って、かき消すように姿が失せる。
僧は、女の言葉から、ある話を思い出す。

【小町の髑髏の説話】ある人が市原野を通りかかった時、一叢の薄の中から声がした。「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ(秋風の吹くたびに、ああ目が痛い)」と和歌の上の句を詠じているように聞こえるので、声の在りかを探すと、野ざらしの髑髏の目の穴から薄が生え出ており、それが風になびくごとに人の声のように聞こえるのだった。その髑髏がこの地に下向して死んだ小野小町のものだと教わって哀れに思い、「小野とは言はじ薄生いけり(小さな野(小野小町)とは言うまい、こんなに薄が生えている)」と下の句を付け、弔いをした。(ある人とは在原業平で、場所は奥州とする話もある)

僧は、女が小町の亡霊だと気づき、草深い野に出かけ供養をする。やがて弔いを喜ぶ声が聞こえ、仏法の戒律を授けて仏弟子にしてくれるよう頼む。
すると、別の陰鬱な声が「いや駄目だ。戒を授けるなら怨み申そう。早くお帰り下さい御僧」と制止する。小町が「たまさかの機会なのに、まだ妄執の地獄の苦しみを見せようというのですか」と言うと、「二人でも悲しいのに、あなたが救われ私独りになれば、ますます重い苦患を味わい、三途の川に沈み果てるでしょう。そうなれば、御僧の授戒の甲斐も無い。早くお帰りください」と言いつのる。

 僧は、二人共に戒を受けるよう勧める。小町が弔いを受けようと薄を掻き分けて出ていくと、深草の少将の霊(シテ)もついに姿を現し、小町を招いて留めようとする。小町が「山の鹿のように、いくら招いても留まりはしません」と拒むと、「では煩悩の犬となって、打たれても離れまい」と、恐ろしい姿で歩み出て、小町の袖を控えて執拗に引き留め、両人とも涙に暮れる。
その様子を見て、僧は懺悔のため、死後の苦患の元になった出来事を再現してみせるよう頼む。小町と少将は、互いに言葉を掛け合うようにして語る。

【少将の百夜通い】小町は、熱心に求愛してくる深草の少将を諦めさせようと「百夜続けて自分の屋敷の榻(牛車を立てかける台)に通うことができれば思いを叶える」と大変な条件を告げる。少将はそれを本気に取って毎晩通い続け、小町が「牛車は人目につくから、姿をやつして来て下さい」と言えば、馬にも乗らず裸足で蓑笠を着け、竹の杖を持って歩いて通った。月の夜は道も明るいが、雪には袖を打ち払い、雨の夜は目に見えない鬼に一口に喰われるのではと恐れ、曇らぬときにも我が身一人に涙の雨が降る。〔少将は、闇夜にさ迷う様を表現する〕

ここまで語って、小町が「夕暮れはひどく思いが募った」と思い返すと、少将は「月の出を待っていたのだろう。私を待っていた筈が無い。空言だ」と否定する。「暁は数々物思いをした」と言えば、「私のためなら、朝が来て鳥が鳴こうが鐘が鳴ろうがどうでも良かったはず。独り寝なら夜明けも辛くあるまい」と怒る。

さて、これほど心を尽くして、ついに百夜目が来た。笠も蓑も捨て、風折烏帽子に花で染めた色襲の衣、藤色の袴、紅の狩衣を気高く着こなし、待っていることだろうと急いで小町のもとへ向かった。その途中、酒を勧められたらどうしようかとふと思い、「仏が戒めているから、月の盃で勧められたとしても断ろう」と一瞬考えた。
そのことによって、今多くの罪が滅び、小町も少将も共に成仏を遂げる。