トップページ資料室鑑賞の手引き > 野守

鑑賞の手引き 野 守 (のもり)

世阿弥 作   時:初春   所:大和国春日野、とある沼のほとり

※ 能舞台の前方には、沼があることになっています。

(まず、舞台上に古塚の作リ物が出される)
【前場】
始めに、能登国(石川県)から旅して来た山伏(ワキ)が登場し、辺りの名所などについて尋ねようと、着座して在所の人が通りかかるのを待つ。

そこへ老人(前シテ)が現れ、自分はこの春日野に長年暮らす野守(野原を見張る番人)だと名乗り、当地の興福寺・春日神社の尊さと春ののどかな景色を讃える。

山伏が正面にある由緒有りげな沼の名を尋ねると、老人は「これこそ野守の鏡と申す水」と言い、自分のような野守が朝夕水面に姿を映したことによる名だと教える。また、「まことの野守の鏡は、昔鬼神の持ちたる鏡」だとも言う。

山伏が訳を聞くと、老人は、昔この野には鬼がいて、昼は人と化して野を守り、夜は鬼となって塚に住んだことを語り、野を守った鬼が持っていたから「野守の鏡」というのだと教える。そして舞台正面先に出、沼に自分の老いた姿を映して過去を懐かしむが、昔を慕っても甲斐がないし、鬼の野守が鏡を持っていたという話も遠い時代の伝説だと思い直す。

次に山伏が古歌
はし鷹の 野守の鏡 得てしがな 思ひ思はず よそながら見む
〔ハシタカの居所を映したという野守の鏡を手に入れたいものだ。恋人が自分を思ってくれているかどうかを、それに映して見ることができるだろうから〕
に出てくる「はし鷹の野守の鏡」について聞くと、次のような由来が語られる。
昔この野で帝(雄略または天智天皇)の鷹狩があったとき、鷹の行方を見失い、来合わせた野守の老人に尋ねたところ、「ここの沼の底におります」と答えるので、狩人が水面を覗くと、確かに水底に鷹の姿が見えた。よく見ると、それは木の枝に止まった鷹の姿が水鏡に映ったものだった。
(老人、狩人が沼を覗き込み梢を見上げる動作を表す)
由来を語り終わると、老人は、かつて帝の威徳の盛んな時代に、賤しいわが身が天皇の心に止まったことを懐かしみ涙を抑える。 

 山伏が本物の野守の鏡を見たいと請うと、老人は、鬼の持つ鏡なので、見れば恐れをなすだろう、沼の水鏡で満足しなさいと言って、塚の中へ消え失せる。

[里の者が通りかかり、山伏に請われて「野守の鏡」の由来や故事を語り、先の老人こそ野守の鬼の化身だろうと言って、ここで勤行することを勧め退場する]

【後場】 ※同じ日、同じ場所の夜半過ぎ
勤行しながら待ち受けていると、塚の中から声が轟き、鬼神が鏡を手にして現れる。山伏がその眼光を恐れたので鬼神は塚に戻ろうとするが、数珠を押し揉んで祈祷するのに引き止められる。
そして鏡を天地四方にかざし、天界から地獄、亡者の罪の軽重や呵責(かしゃく)の有様まであらゆるものを映し出して見せ、この鏡は鬼神が横道を正す宝の明鏡なのだと示し、奈落の底に飛び入って消え失せる。