作者不明 時:春の月夜 所:讃岐国志度の浦
讃岐国志度の房崎の浦へ、藤原房前大臣(子方)がやってきます。この地で実母が亡くなったと聞き、供養のため奈良の都からはるばる旅してきたのでした。
浦に着いて、ちょうど通りかかった海女(シテ)に色々と尋ねることにします。海女が、道々心の悲しみや生業の憂さをかこちつつ近づいてくると、従者(ワキ)は海底の海松藻(みるめ。浅い海の岩に生える海藻の一種で、食用)を刈るよう命じます。海女が、「お気の毒に、旅に疲れ飢えておられるのですか」と持っていた海松藻を差し出すと、従者は「水底に映る満月をご覧になるのに海松藻が邪魔になるので、刈り除けよと仰せなのだ」と説明します。海女は快諾し、「昔、唐土から渡来した名珠が龍神に奪われ、海女が潜って取り戻したのもこの浦」と口にします。
これを聞きとめてあれこれ尋ねると、海女は詳しく答え、それがこの浦の海女であったこと、近辺のあまのの里やここから見える新珠島の名がその出来事に因むこと、彼の珠はどの方向から拝んでも、中に正面を向いた釈迦の像が見えたため、面向不背の珠と呼ばれたこと、それは今の大臣淡海公(藤原不比等)の妹が唐の高宗皇帝の后になったとき、氏寺の興福寺に贈られた三つの宝の一つで、沖で龍神に取られたので、珠を取り戻させるために大臣が身をやつし海女の乙女と契ってもうけた子こそ房前であること、などを教えます。
房前が我が名を明かし、さらに話を乞うと、海女は驚いて房前を拝みます。房前は、「私は大臣の子で藤原氏という恵まれた生まれだが、母を知らないことが心に懸かかっていた。あるとき功臣が、『あなた様の御母は、讃岐国志度の房崎の海女:あまり詳しく申し上げれば畏れ多い』とほのめかした。さては賤しい海女の子だったのか、たとえ賤しくとも母の胎内に宿った恩は変わらないと、訪ねてきた。ああ、懐かしい海女よ」と涙を流すと、女も「かたじけないこと。あなたのような貴人が海女の胎内に宿ったのも前世の因縁、日月が水溜りに映って光を増すようなもの。私もその海女の子孫と言えば、愚かにもあなたの縁者と言うようです。口を閉じて、御名を汚しますまい」と涙を押さえます。
従者は海女に、海に潜って宝珠を取り戻した時の様をまねしてみせるよう懇望します。海女は最初はためらうものの、やがて身振りを交えて語り始めます。
【宝珠の奪還】海女は、我が子を大臣の世継にすることを条件に、海に潜り珠を取り戻してくることを了承する。「子の為に捨てるのなら命は露ほども惜しくない」と、長い縄を腰に結び、「もし珠を取れればこの縄を動かし合図するので、皆で引き上げてください」と約束し、剣を抜き持って波濤に飛び込んだが、海は漫々として底知れず深く、取り戻すことができるか全く分からない。龍宮に至り宮中を見ると、高い玉塔の中に例の珠を籠め置き、多くの龍神や恐ろしげな魚、鮫などが守っている。これでは生きて逃れ難いと、さすがに故郷が恋しく、「波の向こうには我が子や父大臣がいるだろうに、このまま別れ果てる悲しさよ」と涙ぐんだが、思いを断ち切り、手を合わせ観音に守護を乞い、剣を額に当て龍宮に飛び入ると、龍たちは左右にばっと退いた。その隙に宝珠を盗んで逃げると、守護神が追ってくる。かねての計画通り、乳の下を掻き切って傷口に珠を押し込め、剣を捨てて突っ伏すと、龍宮の者は死人を忌むので近寄ろうとしない。縄を動かしたので、人々が喜んで引き上げると、海女は海上に浮かび出た。悪龍の仕業か、体は切り刻まれ血に染まり、珠も見えない。『珠も取り戻せず、当人も死んでしまった』と不比等が嘆くと、女は息も絶え絶えに『私の胸の辺りをご覧ください』と云う。いぶかしんで見ると剣で切った痕があり、中から光り輝く宝珠が取り出された。