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鑑賞の手引き 花 月 (かげつ)

世阿弥(?) 作    季:春    所:京都清水寺

※彦山は福岡と大分の境にある修験道の聖地で、天狗が住むとされていました。

筑紫の彦山の麓に住む僧(ワキ)が登場する。僧には在俗の時一人の子がいたが、七歳の春に行方知れずとなって以来、浮き世を味気なく思って出家したのだった。その数年後の春、人の集まる都に上って我が子の行方を探そうと思い立つ。


僧は長い旅をして清水寺に着き、門前に住む男(間狂言)から「花月という名の、面白く曲舞を舞う喝食(禅寺で給仕などをする有髪の少年)がいる」と教わる。
弓矢を持った美少年(シテ)が出てきて、花月と名乗る。「ある人が私に名の由来を尋ねた。月は常に在って真理を表すので言うに及ばないが、花(か)の字は、春は花、夏は瓜、秋は果、冬は火と、四季の好ましいものに通じ、さらには因果の果まで表しているので、一生の名に採った、と答えると、人々は私を『末世の高僧だ』と言って、花月という名が天下に知れ渡った」と問わず語りをする。


花月(衣恵_2013.04_1)男が声を掛け「いつものように小唄(当時の流行歌)を謡ってください」と誘うと、花月は男の肩に手を掛け、謡い戯れる。
来し方より 今の世までも絶えせぬものは 恋といへる曲者 げに恋は曲者 曲者かな 身はさらさらさら さらさらさらさらに 恋こそ寝られね(昔から今の世まで絶えないものは、恋という奇妙なもの。まったく恋は曲者、恋のせいで全然眠れない)
花月に突き飛ばされて、男は膝をつき、頭上の桜に鶯がいるのを見て「おや、この花に目がある。いや、鶯が花を踏み散らしているのだ。その弓矢で射落としたらどうです」と言う。花月は「鶯の花を踏み散らす細脛を狙うのに、大薙刀などあるはずもない。花月に敵は無いので、太刀や刀は持っていない。弓は的を射、落花狼藉の小鳥にしつけをするためのもの。異国の養由は遠くの柳の葉を射て百発百中だった(中国の故事)というが、私の鶯を射落とそうとする心もそれに劣るまい。それは柳これは桜、それは雁これは鶯、それは養由これは花月、名こそ変われど、弓に違いは無い。見ていろ、鶯」と、下駄を踏み脱ぎ、袴の裾を高く上げ、狩衣の袖を肩脱ぎにして、花の陰を狙って弓を引き絞るが、「仏の戒めた殺生戒を破るまい」と弓矢を捨てる。
男は、清水寺の曲舞を舞うよう頼む。花月は扇を取り、観音菩薩が様々な姿で現れて衆生を救うことを讃えると、舞い始める。


【清水の縁起】そもそもこの寺は、坂上田村麻呂が大同二年(807)の春に草創した。 以来、音羽山からここへ流れる清水のように尽きない霊験に、与らない者は無い。ある時、この滝の水が五色に染まって見えたので、人々が怪しんで山に入り、水上を尋ねると、岩の洞を流れる水の底に、柳の朽木があった。その木から光が差し、不思議な芳香が漂っていたので、「間違いなく楊柳観音の変化したお姿」と、皆手を合わせ「さらに霊験をお見せください」と願うと、朽木の柳は芽吹き、桜ではない老木まで、皆真っ白な花を咲かせた。それで「千手観音のご誓願は、枯れ木に花が咲くほど頼もしい」と、今の世まで言うのである。

花月(衣恵_2013.04_2)
僧は、花月こそ息子だと気づいて名乗り出る。花月は喜ぶが、男は「出家に子があるか」と不審がり、「在俗のときの子」と聞いて、確かに瓜二つだと納得して「お別れに羯鼓を打って聞かせてください」と頼む。〈物着。羯鼓を腰につける〉
花月は羯鼓を打って舞う。〈羯鼓〉七歳のとき彦山に登り天狗にさらわれてから、諸国の山々を経巡ったことを思い起こし、簓(ささら。竹製の楽器で擦って音を出す)を擦って歌い舞う。最後は簓を放り捨て、父に連れられて仏道修行の旅に出る。

取られて行きし山々を 思ひやるこそ悲しけれ まづ筑紫には彦の山深き思ひを四王寺 讃岐には松山 降り積む雪の白峰 さて伯耆には大山(〃)丹後丹波の境なる鬼が城と聞きしは 天狗よりも恐ろしや(略)富士の高嶺に上りつつ 雲に起き臥す時もあり かやうに狂ひ廻りて 心乱るるこの簓(略)さっと捨ててさ候はば あれなる御僧に 連れ参らせて(略)仏道の修行に 出づるぞ嬉しかりける