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鑑賞の手引き 枕慈童 (まくらじどう)

作者不明  季:秋  所:中国、県の山(河南省)

※『太平記』によると、慈童は周の穆王の寵童でしたが、誤って王の枕を跨いだため?県山に流罪となり、哀れんだ王から、枕に秘蔵の偈を記して授かります。
※はじめに舞台前方に、菊を立てて枕を置いた一畳台(菊の咲く山を表す)が出され、舞台後方に慈童の庵を表す作リ物が出されます。

魏の文帝(220~226)から使わされた勅使(ワキ・ワキツレ)が、県山の麓から湧き出た水の水源を調べるため、秋も深まった深山に分け入る。流れを遡って山奥に到り、一軒の庵を見つけ、不審に思って辺りの様子をうかがう。


庵の中から静かな声が聞こえる。「邯鄲の宿で、盧生はうたた寝の夢の間に一生の楽しみを味わったが、私の枕は昔を思い出させ、物思いで眠れず、夢を見る楽しみも無い。風の吹きつける松の根元に仮寝して、夜もすがら涙で袖を濡らす。王を頼りにしたかいも無く独り寝をして、昔の寝物語が恨めしい」


枕慈童(衣恵_2011.09_1)扉が開き、美しい少年(シテ)が姿を現す。獣ばかり住む深山にそぐわない姿を見て、勅使が「化生の者であろう、名乗りなさい」と声をかけると、「そちらこそ化生の者では。私は周の穆王に召し使われた、慈童の成れの果て」と答える。
それを聞いた一行は、「周の時代は七百年も昔だ。それほど長く生きられるはずがない」と怪しむ。
慈童は「皇帝は、御枕に四句の偈(げ。仏教詩)を書いて下さった」と枕を見せる。
勅使が近寄ってよく見ると、確かに枕に「具一切功徳慈眼視衆生、福寿海無量是故応頂礼(仏は全ての功徳を具え、慈しみの眼で衆生を視る。その福寿は海の如く無限なので信仰しなさい)」とある。
慈童はこの妙文を菊の葉に書き写し、その葉に降りた露が不老不死の薬となったため、七百歳まで生き長らえたのである。経文はいずれも尊いものだが、特にこの偈は悟りを求める種となり、妙法蓮華経にも等しいほど尊い。それを受けた滴が落ちた流れに身を浸したために、老いを遠ざけたのだろう。
慈童は、穆王がどのようにして釈迦から偈を授かったのかを語る。


穆王は八匹の駒に乗り、仏法を求めて遥かインドの霊鷲山まで旅をした。仏の説法の場に混じり、夜すがら聞き入っていると、仏にどこから来た者かと問われ、「私は中国の君主です。釈尊は仏法の深遠をお説きになります。私に国を治めるための教えを授けてください」と、頭を垂れて乞い、この四句の偈を授かった。
枕慈童(衣恵_2011.09_2)この故事から、皇嗣が誕生し即位する際は、摂政が宮殿に参上してこの偈を献ずるのである。それゆえ、詔も天子の位も万代まで続くだろう。妙文を写した菊に降りた露が、苔に滴って雫となり、年を経て淵となった。この水を汲む人も汲まない人も、千年の齢を延ばすことだろう。
渓流が花を洗うので、汲むと芳香がする。慈童は心が浮き立ち舞い始める。〈楽〉


この偈文が菊の葉にことごとく現れるためか、落ちる雫も芳ばしく、それが集まった水流は薬酒となる。慈童は流れを汲んで勅使に勧め、自らも飲む。月明かりの下で杯を進めるうちに酔い、よろよろと枕に近寄り、頂いて君主の聖徳を讃えて、岩根に咲く菊をつぎつぎに手折り伏せると、その上で眠ってしまう。

 

 やがて目覚め、「薬の酒の効能で、酔いが体を蝕むことも、老いることもなく七百余歳を保ったのも、この御枕のおかげ。千秋万歳の我が君、と祈る私の寿命を、今の帝に授けよう。この山の菊水は、いくら汲んでも尽きることはない」と告げると、咲き乱れる菊を掻き分けて山奥の庵に帰っていく。