竹田法印定盛 作 時:不定 所:前 山城国(京都)愛宕山 後 近江国(滋賀)比叡山
※ 「白田村」など、曲名に「白」をつける小書き(特殊演出)は喜多流で最も重いもので、曲の位が非常に上がります。後シテは白一色の装束を着け、年長けていることや神秘性を強調します。後場の謡も重々しく雄大な謡い方になります。
※ 天狗は深山に住む想像上の生き物で、仏法を妨げる悪魔とされ、自分の知識や徳にうぬぼれた僧は天狗道に堕ちる、とも考えられていました。
【前場】 山伏の姿のシテが登場。唐土の天狗の首領是界坊と名乗り、「大唐では育王山・青龍寺などあらゆる所の慢心した僧を皆天狗道に引きこんでやった。聞けば日本は、辺境の小国だが神国で仏法が盛んらしいので、急いで日本に渡り仏法を妨げよう」と言う。
是界坊は、朝日の射す方を目指して海原を飛び越え、瞬く間に日本に着く。山々や杉木立の様子が天狗の住処にふさわしいと思い、まず噂に聞く愛宕山の太郎坊を訪ねる。庵室に声をかけると、同じく山伏姿の太郎坊(シテツレ)が出てくる。
二人は庵に落ち着いて計画を練る。太郎坊の勧めで、まず日本の仏教の中心地比叡山をうかがうことにする。しかし、比叡山の天台宗は密教・顕教共に修める所なので、自分たちが狙いをつけるのは蟷螂が車を止めようとし、猿が水に映る月を取ろうとするくらい無謀な事である。それでも慢心の者どもを狙う機会を得たいのだが、仏法守護の不動明王の威力を考えると、ますます思案に困る。
五大尊明王の中でも、不動明王は身から火炎を出して煩悩や魔を焼き尽くすという。また、外見は憤怒の姿だが内心は慈悲に満ち、一念を凝らして衆生の心中に住む。真に有難いものである。
とはいえ、我々は輪廻を逃れられず魔道に沈んだ者、永い過去の間に仏法に触れて三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)からは抜け出たが、なお仏敵となっている。今それを嘆かなければ、未来永劫悟りは得られないだろうに、仏に帰依しようとは思わず、仏教者の隙をうかがい明王の降魔の剣を待つとは、全く儚いことだ。
考え続けてもきりがないので、太郎坊の案内で出発する。
雲を越え高雄山に至れば、東に大比叡の横川の杉の梢、その南に如意ヶ嶽が見える。そこに掛かる雲や霞を吹き払い、嵐と共に天狗達は飛んでいく。〈中入〉
〔比叡山の使者(間狂言)が来て、是界坊が都で悪事を為すので、比叡山飯室の僧正に祈祷の勅諚が下ったと言う。急に暗くなり大風が吹き始め、やむなく引き返す〕
※ 脇座に車の作リ物が出される。
【後場】 飯室の僧正(ワキ)が従僧(ワキツレ)を従えて車に乗り、都に向かう。ふもとの下がり松の梢が嵐に吹かれてたわんでいる、と見る間に、雲が湧いて雨が降り注ぎ、山河草木が震動し、稲光と雷鳴が満ちる。
そこへ、大天狗の正体をあらわした是界坊が現れる。「坊主殿、いまさら何を祈っている。仏の道はすなわち魔境と同じという教えもあるではないか。気の毒なことだ。欲深い衆生の住む世界の者共には、悟りの道もそのまま魔道の巷となってしまうのだ」さらに暗雲の中から邪法を唱える声が響く。
もちろん魔も仏も一つのもので、凡人も聖人も本性は等しいが、物の本質は清浄であり、天然のまま揺らぐことはない。これを不動と呼ぶのである。
さて、是界坊は辺りを翔って威力を示し、僧正の車に手をかけて脅かす。しかし僧正が不動明王に祈り始めると、思わず手を離して後ずさる。
その時、僧正の祈祷に呼ばれて不動明王が来現する。さらに、先駆けとして侍者の二童子や守護の十二天も現れる。是界坊は懸命に立ち向かう。
やがて、東風に乗って比叡山の守護神山王権現が、続いて南から男山の八幡神、西から松尾、北野や賀茂の神々が到着し、風を起こして吹き払ったので、さしもの大天狗の翼も地に落ち、力も尽きて日本を立ち去ると見えたが、また飛び来て、「二度と日本に来ない」という声だけを残して雲路に入って姿を消す。