観世元雅 作 時:三月十五日 所:武蔵国隅田川
※隅田川は武蔵と下総(東京と千葉)の境を流れ、当時は流れが速く川幅も広い難所でした。前半の渡し守と女との問答は、『伊勢物語』九段の在原業平の東下りを踏まえて作られています。謡いの詞章にも『伊勢物語』の引用が多く見られます。
大念仏とは、大勢で集まって大声で念仏を唱える仏事のことです。
※舞台後方に、柳の生えた塚の作り物が出される。
【隅田川の渡し場】春の夕暮れ、渡守(ワキ)が舟のそばで番をしていると、都から東国に帰る途中の商人(ワキツレ)が来る。来た方向が騒がしいので訳を聞くと、「都から下った物狂いの女が面白く舞い狂うのを見た」と教える。渡守は、女が来るまで舟を出すのを待つことにする。
そこへ中年の女(シテ)が来る。女は都の北白川の者だが、息子を人商人に攫われ、東国に連れて行かれたという噂を聞いて物狂いとなり、行方を追って旅して来たのだった。
「聞くやいかに上の空なる風だにも松に音する習いありとは(気まぐれな空の風でさえ松に吹いて音をたてるのに、あなたはどんなに待っても音信が無いのですね)」女は悲しみで心乱れた様子である。
乗船を乞うと、渡し守は「狂女なら、面白く舞い狂ってみせれば乗せよう」と答える。女は「隅田川の渡し守なら『日も暮れる、早く舟に乗れ』と言うべきなのに」と非難し、渡し守の返答を受けて、「名にし負はばいざ言問はん都鳥わが思ふ人は有りや無しやと(都という名を持つ鳥なら尋ねてみよう、都鳥よ、私が都に残した思い人は無事だろうかと)」と歌を引用する。さらに沖にいる白い鳥の名を尋ね、渡し守が鴎と答えると、「隅田川にいる白い鳥なら、都鳥と答えなければ」とやり込める。
女は、業平の都に残した妻への思いと、我が子への思いを重ね合わせる。都鳥に子の行方を問い、「限りなく遠くまで来てしまったものだ」と思いをはせ、手を合わせて乗船を乞う。感動した渡し守は、舟で騒がぬよう注意して乗らせる。
我もまたいざ言問はん都鳥 我が思ひ子は東路に 在りや無しやと 問へども問へども 答へぬはうたて都鳥 鄙の鳥とや言ひてまし げにや舟競ふ堀江の川の水際に 来居つつ啼くは都鳥 それは難波江これはまた隅田川の東まで 思へば限り無く 遠くも来ぬるものかな〈略〉さりとては乗せ給へや
女は笠を脱いで舟に乗り、商人も続く。渡し守は棹を取って舟を出す。
対岸から念仏が聞こえてくるので商人が尋ねると、渡し守は「ある人の弔いの大念仏です」と答え、岸に着くまでの間に事情を語って聞かせる。
【船上での物語】ちょうど一年前の三月十五日のこと、十二、三歳ほどの都育ちの少年を連れた人商人が、奥州に下る途中ここを通った。少年が旅の疲れのためかひどく具合が悪くなり川岸に倒れると、残酷にもそのまま捨てて行ってしまった。どんどん弱って末期に及び、あまりいたわしいので故郷を問うと「私は北白川の吉田何某の一人子で、父が亡くなり母と暮らしていたのですが、人商人に攫われここまで来たのです。私が死んだらこの路傍に埋めてください。都から来た人の手足の影まで懐かしいので。何よりも、都の母上が恋しい」と言って、弱った息で念仏を唱え、亡くなったのだった。そこで遺言どおり路傍に埋葬し、印に柳を植えた。今日が正命日なので近在の者が集まり大念仏を催している。(女は徐々に話しに聞き入り、亡くなったと聞いて涙を流す)
【塚の前の大念仏】渡し守は「都から来た方もいるようなので、一緒に弔ってください」と頼む。そのとき舟が対岸に着く。商人が参加を申し出、客は皆下船する。
女が舟から動かないので渡し守が急かすと、少年の死んだ日や素性を確認して次第に切迫し、名前が「梅若丸」で、死後は親類も母親も誰一人尋ねてこないと聞き「それも当然、その者こそ私の探す子」と悲しみを溢れさせる。
渡し守は同情して墓所へ案内する。女は「また会えるという希望があったからここまで来たのに、墓標ばかり見ることになるとは。この下にいるのでしょう」と土を掘り返そうとし、人々にも遺骸を掘り出すよう詰め寄り、慟哭する。その姿は、憂世の無常をそのまま体現するようである。
月が出て夜念仏の時刻となり、人々は鉦鼓を鳴らし始めるが、女は伏して泣くばかりである。渡し守が「母親の弔いをこそ亡き人も喜ぶでしょう」と鉦を差し出すと、女は鉦を首に掛けて立ち上がり、一心に念仏を唱え始める。隅田川の波風や都鳥の鳴き声も音を添えて「南無阿弥陀仏」の唱和の声が川岸に満ちると、不意に、塚の方から子どもの念仏の声が重なる。
我が子の声と悟った母が更に唱えると、また声がして、子の幻(子方)が現れる。母が駆け寄り手を取り合おうとした瞬間、幻は消える。見え隠れする幻に思いは募るが、やがて東の空が明るみ始め、我が子と見えたのは、塚の上に生い茂る草むらに過ぎないのだった。
声のうちより幻に見えければ あれは我が子か 母にてましますかと 互いに手に手を取り交せばまた 消え消えと失せければ いよいよ思ひは真澄鏡 面影も幻も 見えつ隠れつする程に 東雲の空も ほのぼのと明け行けば跡絶えて 我が子と見えしは塚の上の 草茫々としてただ 標ばかりの浅茅が原となるこそ哀れなりけれ なるこそ哀れなりけれ