世阿弥 作 季:不定 所:信濃国(長野)善光寺
旅姿の僧(ワキ)が登場する。僧は深草(京都伏見)の者だったが、馴れ親しんだ妻に先立たれてから世を空しく思い、出家したのだった。「この世の親子の縁はただ仮初めのもの。旅して野山に寝起きすることこそ、世を捨てた身の習い」僧は、長年望んでいた善光寺参りに旅立つ。
〔善光寺の如来堂の堂守(間狂言)が舞台に出て控える。後見が橋掛りに土車の作リ物を出す〕
腰に羯鼓(両面をばちで打つ小型の鼓)を着けた遊芸者の男(シテ)が、幼な子(子方)を乗せた土車(土砂などを運ぶ車)を引いて出てくる。通行人に善光寺への道を尋ね「この子は我が主君で、父御を失い諸国を探し回っているのです」と語るが、嘘だと言われて不人情を恨む。
子供が泣くと、男は「こうして土車を作って諸国を巡るのも、父御にお会いするため。そのように気弱にむずかるなら、今日捨ててしまいますよ」と叱るが、子が「もう泣かない」と言うと「かわいそうに、嘘ですよ。善光寺に参詣すれば必ず父御にお会いできますから、安心なさいませ」と慰め、綱を持ち車を引く。「昔は立派な輿や車に乗っていた名家の御子が、すっかり没落してしまって」と悲しみ、「住みかも無く土車で世を廻り、まるで浮雲のようだ」と述懐する。
二人は深草の何某の息子と守り役の小次郎で、失踪した父を探す旅をしている。「無常の習いは皆同じだが、母は亡くなり、残った父も程なく家を出てしまった。昔は花鳥風月の宴に伴われていた身が、これほど落ちぶれるとは」と嘆く。念仏を唱えたり鼓を打ったりして物乞いをして命をつなぎ、人々に父の行方を尋ねながらつらい旅を続け、名高い善光寺に到着する。
子を車から降ろしてお堂に入ろうとすると、堂守が「ここは内陣だぞ」と立ち退かせようとする。事情を話すと「そのようにあつかましくては、この天下では叶うまいよ」と言われ、二人は故事を引いて反論する。
【藤原千方討伐】天智天皇の御世、藤原千方という反逆者がいた。伊賀と伊勢の 国境に籠もって勢力を持っていた上、四人の鬼を使ったので攻めあぐねていたところ、藤原朝臣(紀朝雄の誤り)が計略を廻らせて砦に一首の歌を送った。
土も木も我が大君の国なればいづくか鬼の宿と定めん(この国の土も木も全て我が帝が治めているのだから、反逆する鬼の住む場所など無い)
この歌の理に鬼も納得して去って行ったので、千方も滅んだ。
「こうして国土も鎮まりました。ですから土車に乗った我等まで、大君のお蔭で自由に道を行くことができるはずなのに、あなたの独断で堰き止めるのですか。特に、ここ信濃の阿弥陀仏はこの上なく憐れみ深く、衆生を一人子と思し召してくださるので、我等が頼りにするのです。弥陀は母であられるのですから、父にも逢わせてくださいませ」小次郎は、群集の憐れみを乞い、手を合わせて念仏を唱え、色々な楽器を鳴らして華やかに歌い舞い、声を上げ叫ぶが、尋ね人が現れないので「もはやこれまで」と、羯鼓やササラを打ち捨てて座り込む。
その様子を見ていた僧は、彼らが、故郷に残してきた息子と小次郎だと気づく。「なんと落ちぶれた有様だ。私がいつも善光寺に参詣したいと言っていたのを、幼心に聞き留めて、はるばる尋ねて来るとは、かわいそうに」と、すぐに名乗り出ようとするが、思い返して「いいや、一度切った親子の恩愛をまたつないで、再び輪廻に囚われることの口惜しさよ。今会えば永遠の嘆きのもとになり、会わなければ極楽往生が叶って結局は喜べることになろう。親子の絆をここで断つ」と決意し、念仏を唱えながら知らぬふりをして二人の前を通り過ぎる。
望みを失った子は「今は命も惜しくないので、前の川に身を投げたい」と言う。小次郎も賛成し、「今夜は如来堂で死後の成仏をお祈りし、夜が明けてから御身をお投げください。私もお供します」と、子を仏前に導き、心静かに祈る。
「生死輪廻の根源を尋ねるに、執着の妄念から起こるもの。自ら心を迷わせて車輪の廻るように輪廻を繰り返し、林を飛び回る鳥のように浮き沈みして生きる。悲しいかな、我等は人間界に生を受けたのに仏縁を結ばず、これでは極楽往生も疑わしい。『他に救われようが無い極重悪人でも、阿弥陀仏を念ずれば極楽に生を受けることができる』と説かれた通り、我等をお救いください」
翌朝、二人は手を取り合って川に向かう。すると、思いを断ち切れずに戻ってきた僧が後を追う。二人が西方浄土を向いて身を投げようとした瞬間、引き止めて父だと明かし、子を抱き寄せて泣く。小次郎たちは、命を存えてついに父と巡り合えたことを喜ぶのだった。