作者不明(世阿弥か) 時:春 所:大和国春日の里
※小書「小波ノ伝」は、常の演出とは異なる部分があります。
【前場】
諸国を旅している僧(ワキ)が、都の寺社巡りを終えて、夜明け方奈良の春日の里にやってくる。春日神社に参詣すると、木の葉を手にした里の女(前シテ)が現れ、桜が散り敷き藤の垂れる神前の春の月夜を賛美し、和歌を口ずさむ。
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
〈照るでもなく、すっかり曇るでもなく、春の夜のぼんやりと霞んだ月の情趣に及ぶものはないことだ〉
そして持っていた木を植え、僧が「これほど茂った森林に、重ねて木を植えるのは不審」と訳を問うと、女は神社の由来を語り、かりそめに植えた木でも神木と思っておろそかにしないように言い、釈迦如来が衆生を救おうと春日明神として現れたのだから、ここの景色は浄土の春にも劣らないと讃える。
女は僧を名池である猿沢の池に案内し、池のほとりで仏事をなしてくれるよう頼む。僧が誰を弔うのか聞くと、女は天智天皇の歌を引き、その由来を語る。
吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
〈愛しいあの子の寝乱れ髪を、猿沢の池の藻として見るのは真に悲しいことだ〉
天智天皇の御代、ひとりの采女がいた。采女とは君に仕えた上童である。初めは寵愛が深かったが、程なく心変わりされ、及びない身ながら帝を恨み池に身を投げ空しくなった。帝が御幸して死骸を見ると、美しいつややかな髪や細い描き眉、赤い唇などの生前の柔和な姿とはすっかり変わって、池の藻屑に混じって浮かんでいたので、帝も哀れに思い歌を詠んだ。下々の身として君を恨んだはかなさは、水に映る月を取ろうとする猿のようなものだ。
女は、語り終わると自分は采女の幽霊と明かし、池水の底に入ってしまう。
〔春日の里の者が参詣に訪れ、僧に問われて、木を植えると当社の神慮に叶う謂れや、采女の身を投げた子細について語り、跡を弔うことを勧める。〕
【後場】
僧が夜の水際に座して弔っていると、采女の亡霊(後シテ)が古の姿で現れ、仏法の恵みを得ることを喜び、帝に仕える様々の者の中でも、采女が真情を和歌で表した例を示す。
昔葛城の大君が陸奥に下向した時、皆のすることが疎略だとして、饗応されても心が解けなかったが、ある采女が盃を取って詠みかけた歌〈浅香山 影さへ見ゆる山の井の 浅くは人を 思うものかは(あさか山の影まではっきり見える山の井のような浅い心で、あなたを思っているのではありません)〉の真情に心安らかになった。
そして、宮廷の酒宴の場で興を添えた時のことを回想し、再び〈吾妹子が〉の歌を詠じると、自分が入水したときの情景を重ねて舞を舞う。采女の舞も仏の教えを賛仰する縁なのだと言い、僧に弔いを頼むと、また池の波の底に入って姿を消す。