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鑑賞の手引き 湯 谷 (ゆ や)

世阿弥 作  時:三月、桜の花盛り  所:京の都、平宗盛の屋敷→清水寺

【平宗盛の屋敷】
始めに、平宗盛(ワキ)が従者(ワキツレ)を連れて登場し、自分の寵愛する湯谷(シテ)が、郷里の母が病気のため東国に帰りたがっているが、引き止めていることを話す。そして、床几(しょうぎ)(腰掛けて身分の高さや馬上にいることを示す小道具)に腰掛けて湯谷が来るのを待つ。

 東国から、湯谷の家に仕えている朝顔(シテツレ)が、母の手紙を持って都にいる湯谷を訪ねてくる。湯谷が登場し、朝顔から手紙を受け取って読み、母の病が重いことを知って、朝顔を連れ宗盛のところに暇を請いに行く。

湯谷は、宗盛と対面し、母からの手紙の心細い内容を読んで聞かせ、面を伏せて悲しむ。

《手紙の文面》甘泉殿の春の夜の夢、心を砕く端となり、~(中略)~「老いぬれば さらぬ別れの ありといへば いよいよ見まくほしき君かな」と、古事までも思い出での、涙ながら書き留む。
 〔「年をとると、逃れることのできない死という別れがあるというので、ますますあなたにお会いしたくなりますよ」(『伊勢物語』より、在原業平の母の歌)という古歌までも思い出され、涙とともに筆を留めます。〕
重ねて暇を請うものの、宗盛は「この春ばかりの花見の友」として、湯谷を引き留め、花見に行くための牛車を用意するよう従者に命じる。

(舞台上に、花見車の作リ物が出される)
湯谷が仕方なく牛車に乗り込むと、一行は清水寺へ出発する。

【清水寺までの道中→清水寺】
道々の華やかな春の景色を眺めるにつけても、湯谷は東国にいる母を思って心が晴れない。清水寺に着くと、まず仏前で合掌し母のために祈る。
宗盛に花見の酒宴の席に呼ばれると、湯谷は悲しみを抑えて、興を添えるため辺りの風物を讃えて謡い舞う。


《舞の場面の詞章》
花前に蝶舞ふ紛々たる雪 柳上に鶯飛ぶ片々たる金
寺は桂の橋柱。立ち出でて峰の雲 花やあらぬ初桜の 祇園林下河原。南を遥かに眺むれば 大悲擁護の薄霞 熊野権現の移ります 御名も同じ今熊野。稲荷の山の薄紅葉の 青かりし葉の秋。また花の春は清水の ただ頼め頼もしき 春も千々の花盛り。 山の名の 音羽嵐の花の雪 深き情けを 人や知る。


進み出て酌をすると、宗盛は舞を所望する。湯谷は、悲しみをこらえて舞い始める。〈中の舞〉
舞の最中、にわかに雨が降り出し花を散らす。湯谷は扇で落花を受け止め、袂から短冊を出すと和歌を書き付ける。「盛りの花を散らすとは、心無い村雨。春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人し無ければ(春雨とは、桜の散るのを惜しむ人々の涙なのだろうか。古今集)」と古歌を詠じ、自身でも一首の歌を詠んで宗盛に渡す。宗盛が読みかけると、湯谷が続けて下の句を読む。
いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東(あづま)の花や散るらん〔どうしたらよいのでしょう、都の春(宗盛)も見捨てがたいけれど、こうしている間にも、馴れ親しんだ東の花(母)が散ってしまうかもしれません。〕

湯谷の和歌に感動した宗盛は、暇を与えて東国に下ることを許す。
湯谷は喜び、これも観音の御利益と仏前に手を合わせると、宗盛の気が変わらない内にと、その場からすぐに東国に向け旅立っていく。

《結びの詞章》
これまでなりや 嬉しやな これまでなりや嬉しやな。かくて都にお供せば またもや御意の変わるべき ただこのままにお暇と 木綿附の鳥が鳴く東路指して行く道の 東路指して行く道の やがて休らふ逢坂の 関の閉ざしも心して 明け行く跡の山見えて 花を見捨つる雁の それは越路我はまた 東に帰る名残かな 東に帰る名残かな