2015(H27)年3月~4月 中国新聞掲載記事 全15回 連載担当: 備後本社・加納亜弥
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福山市での公演で子方(子役)を務めるのを機に、11歳で叔父である大島家3代目久見氏の芸養子になった
福山市で城南中を卒業した後に上京すると、喜多流家元での住み込み生活が始まった。故15世喜多実氏に師事した
東京で高校を卒業した後、喜多流の若い弟子たちで「喜多青年会」というグループを結成した
東京で喜多流の若手の弟子でつくる「果水会」に所属していた1960年代後半。このころ、福山にいた大島家の3代目久見氏から「本格的な能楽堂を造りたい」と告げられる
喜多流宗家の職分として独立したのを機に、大島家3代目久見氏の勧めで泰子さんと結婚した
鞆の浦(福山市)の沼名前神社に、国重要文化財の移動式(組み立て式)の能舞台がある。豊臣秀吉が伏見城に設け、のちに移されたとされる。大島家はそこで1996年から毎年、1月3日に新春能を披露している
2000年に台湾の台北芸術学院から、客員教授に招かれた
大島家は2000年ごろから、長女衣恵さんが中心となり、福山市の小中学校などで能の出前授業に力を入れ始めた
お能って室町時代の詩劇だから、多くは京都や奈良が舞台。中国地方が舞台の作品で有名なのは、備前国の「藤戸」くらいかな。そこで僕もひとつ、広島や福山のご当地ソングを作りたいと、こう思ったわけです。
福山市光南町にある大島能楽堂は、築30年が過ぎた2003年、1階を全面改修した
2007年11月、大島能楽堂で観能した中国系英国人の作家ジャネット・チョングさんから「英語能を作りたい。それを大島家に舞ってほしい」と依頼があった
大島能楽堂は福山で、年間4、5回の定期公演を60年近く続けている。4月19日の次回で241回目を迎える
2013年、能の普及に尽力した実績を評価され、第70回中国文化賞を受賞した。14年には文化庁の地域文化功労者表彰も受けた