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2005年10月1日 新作能「鞆のむろの木」鞆舞台 (徳永 学 「能楽タイムズ」第645号掲載文)

 能楽笛方の帆足正規師創作、福山在住の喜多流職分大島政允師の節・型付による新作能「鞆のむろの木」が10月1日の土曜日午後、鞆町沼名前神社(祇園宮)にある秀吉ゆかりの能舞台で演じられた。観光客を含む500人近くが、大伴旅人の亡妻挽歌を主題にした名舞台を堪能した。
能舞台は組み立て式で伏見城にあった。秀吉亡きあとの政策で徳川から親藩の福山藩へ下され、それが鞆へ移築された。今では国指定の重要文化州になっている。
今回の催しは広島県大型観光キャンペーンに大島師が協賛された。当日は鞆港のシンボルである燈龍堂をメーンに古い町並みのあちこちに花が生けられ、観光客を楽しませた。
花めぐりに汗しながら神社参道でも花に迎えられ、会場に至った。今シーズン最後の残暑で日差しもきつく、ワキ正面の客席には日傘の花が咲いた。パンフレットで顔に陰をする光景なども見られた。舞台半分にも日が差し、演者も大変だなと推察しながら待った。
開演に先立ち、作者の帆足師から、物静かな解説があった。「私は詞章の作者ですが能として成立するためには大勢の演者の協力を必要とします。曲の粗筋を話しますから、あとは舞台に集中して、演者の一挙一動にその心をくみ取って下さい」と述べられた。
前場の鞆の景色に「海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ」(万葉集)、暮れゆく浦に「彦星の妻迎へ舟漕ぎつらし天の河原に霧の立てるは」(山上憶良)、「忍ぶ夜の月の友舟ここに又寄するも深き心とぞ見る」(菅茶山)が引用され、作り物の舟の灯りの赤が、日差しに負けていないのが印象的であった。
旅人の三首はいずれもシテの朗詠で、万葉集の登載順に「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」は、漁翁が旅人の幽霊であることを告げて中入りする。ここでは酒徳利持参で登場した間狂言の船番所役人が非番で、ワキに洒を勧めながら旅人の「酒を褒める歌」を紹介する場面は、会場の緊張をほぐした。
後場では「鞆の浦の磯のむろの木見む毎に相見し妹は忘らえめやも」を朗詠して、貴人姿の旅人の幽霊がお目見えする。三首目「磯の上に根はうむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか」は気分が高揚して、舞台正面の作り物のむろの木に妻の行方を尋ねるクライマックスで相舞に続く。ツレの大伴郎女は新妻姿ながら、その生涯像であろうと思う。
感動の余韻が続く。鞆在住の万葉ファン、旅人ファンにこれ以上の名曲、名場面の贈り物はなかった。


女性と地方が伝統に風穴  広安博之 中国新聞 7月3日夕刊 文化蘭 ステージぱっくに掲載

 6月15日、東京の国立能楽堂で喜多流の新作能の初演があった。 ― 中略― 約600人を収容する国立能楽堂はほぼ満席で、なじみの人物や地名が登場する「備後発」の舞台に観衆が酔いしれた。大成功であったと思う。皆口々に新作能の成功を祝いあった。この上演には、二つの大きな意義があったことを強調したい。
一つは、伝統が重視される能の世界で、家元でなく地方の能楽師が主催し、主演したこと。日本の伝統芸能や芸術では、家元制度が根強く存続しており、家元以外では何もできないのが普通である。数々の困難を乗り越え、国立能楽堂での公演にこぎ付けた快挙は、ひたむきな尽力の賜物であろう。
二つ目は、シテツレながらも女性の能楽師が初めて登場したこと。能人口が減りつつある現在、謡や仕舞を習う男女の比率は、女性の方が多い。それなのに、女人禁制とは時代錯誤もはなはだしい。これを打ち破って、熱演した大島衣恵師の演技はすばらしかった。
能楽や演劇では書手(かきて)、為(して)、見手(みて)という、作者と役者(演出者)と観客の三つの要素が不可欠な条件とされる。象徴的な演劇の極致とされる能ぐらい、観客を重視する芸能はない。すべての表現をできるだけ切り詰めて内側に貯え、それを逆に観客の想像力に働きかける。集約された演技のほんのかすかな暗示に触発されて、観客自身がイメージを描き、心の眼で演技を完成させる。世阿弥の言葉を借りれば、「書手」と「為手」と「見手」の三者が見事に「相応」してこそ、能は「成就」する。
今回の新作能「鞆のむろの木」は分かりやすかったという意見が多い。それは、書手である帆足師の万葉集にかける情熱と造詣の深さが寄与していると想う。欲を言えば、女性能楽師の起用を意識して、もっと出番を多くすれば、若き妻である大伴郎女の思いをじっくり聞けたはずである。
特に、若き大伴郎女の役である衣恵師が、幕口から出て橋掛かりの三の松あたりで、凛々と謡う声は、面を着けていてもよく聞き取れた。このシテツレに若い女性能楽師を登場させたことは好判断であった。最後に、シテとシテツレの二人で相舞を見せるが、この場面も男女で演じ、艶やかで特に魅力的だった。
ともあれ、今回の新作能は、21世紀の伝統芸能の新しい道を切り開いた一歩であろう。


7月18日 ベトナム ハノイより  荒川

 ― 前 略 ―
早速鑑賞(ビデオ)させてもらいました。久し振りの能楽堂の緊張感を一人味わいました。本当に能はいいですね。
むろの木は何か、男女の思い入れは違えども、名作「井筒」を彷彿させるものを感じました。しっとりとした名作になると思います。
先生の後シテの旅人がいいですね。相変わらず若くて清潔感が充分出ていました。衣恵様はただただ艶やかで美しいです。でも美し過ぎます。
先生の旅人だけで良いのではないでしょうか。勿論多くの人は妻の出現をも望むのでしょうが。正に「隅田川」の子方が塚から現れるのか、現れない方が良いのか論争と同じ芸術的に高い論争点とも言えます。素人が勝手なこと言って申し分けありません。
輝久さんの仕舞「敦盛」には感動しました。実は大学院の学生の時に大島会、それも目黒の能楽堂で「敦盛」を舞ったのです。先生のご配慮で地方は父と父のお弟子さんが勤めてくれました。父は本当に喜んでいました。それが唯一の親孝行でした。その2年後に父は58歳で他界しました。ベトナム赴任にも「敦盛」の謡本は持ってきています。仕舞どころは諳んじれます。輝久さんは若き日の荒川研を思い出させてくれました。勿論輝久さんの方がずっとハンサムですが。
テープのお蔭でいろいろ感慨にふけっております。本当にありがとうございました。
絶対にベトナム公演実現させましょう。元気が出てきました。


6月15日が、能楽会にとり記念すべき日となりましたことを心よりお喜び申し上げます。 山本弘子

 「鞆のむろの木」は、なんと多くの魂を、想い思い合う心を、あの能舞台の時空の上に呼び寄せたことか…。馬場あき子様の解説で、万葉の世界に誘われた私は、相舞に酔う中で、大納言・郎女のお二人もさりながら、相寄り合う無数の魂のハーモニーが舞台上に交錯するのを瞬時に感じて、胸が締め付けられる思いに駆られ、思わず知らず、涙を零してしまいました。(お能を鑑賞して涙したのは初めてです。お笑いください。)
政允先生・衣恵先生は、現実の親子・作品の愛し合う夫婦を超えて、崇高でおかしがたい「美」そのもののかたちとして眼前にある不思議。これこを幽玄の世界というのでしょうか。
帆足先生の母君も今ここに来られて、親子の会話を交わしていらっしゃる。後見のお役を超えた(失礼ですが)、久見先生の、政允先生・衣恵先生の一挙一動を見守られる厳しく、そして、慈愛の眼差し。舞台を冷静に把握しながら、渾身の力で謡い、舞台を創り上げていかれる輝久先生。
新作能を荘厳した政允先生の装束・衣恵先生の万葉の髪型、実物のむろの木の作り物、パンフレット等に匂う、奥様はじめご一門の方々の御工夫・御思案の数々…。
やがて、お囃子が慌ただしく打ち響き合った後に漂う寂寥感。その間を押し広げつつ、去っていく郎女に重ねて謡われる謡のことばの深い意味合い…。
感動をことばにするもどかしさを感じつつ   ―後略― 


田中隆尚

主題は、萬葉の歌人、大伴旅人であることもうれしく、帆足正規先生の作品は出来映えひときわ優れ、更に御演能の先生方にはまことに絶妙なる御境地をお観せ下さり、鼓、大鼓、笛、謡の調は時空を超えて、まさに夢幻能の涅槃に遊ばせて頂きました。
茲に感激未だ覚めやらぬままに、改めて先生方の日頃の御研鑚に深甚なる敬意を表する次第でございます。
― 後略 ―